Lisaの開発裏話

ユーザーテスティングと行動分析学

 

 アップルのパソコン−Macintosh(マック)はコンピュータの世界に大きな変革をもたらしました。今でこそWindowsでも常識になっていますが、昔はパソコンと言えば、マウスもアイコンもなく、すべてキーボードから文字を入力して操作していたのです。
 パソコンを操作する画面や方法のことをユーザーインターフェイスと呼ぶことがあります。マウスやアイコンを駆使したMacintoshのユーザーインターフェイスは、その前身であるLisaというコンピュータで開発されたことは良く知られています。あまり良く知られていないのは、その開発過程で、テストユーザーを行動観察したり、単一被験体法の考えを使ってデータを集めるなど、実験的行動分析学の知見が活用されていたことです。
 このメモは、Lisaのソフトウエア開発に携わったGreg Stikeleather が、彼が現在経営に参画しているHeadSproutという会社のスタッフに送ったメールを、ご本人の許可をいただいて翻訳したものです。
 HeadSproutはシアトルにある教材開発会社で、行動分析学に基づいて開発した Early Reading Program は、週に1回、 20分のレッスンを40ユニットこなすだけで、小学校高学年レベルの物語を読みこなせるようになるというweb教材です。アメリカは今でも識字率が低い国の一つで、この会社は識字率を上げることにコミットしています。
 貴重な情報を提供して下さり、かつ、分かりやすく意訳してwebで公表することに同意して下さったGregには、この場を借りて感謝の意を表します。


From: Greg Stikeleather
Sent: Sunday, March 14, 2004 5:04 PM
Subject: 開発テストに関するちょっとした歴史

 このメールの大部分は何日か前の晩に一気に書いたんだ。他にしなくちゃならない仕事は山のようにあるけど、楽しい一時だったよ。長文だし、必読というわけではないけれど、時間があるときにでもどうぞ....

 Larry Teslerに会ったことがある人は皆の中にもいるよね。アップル時代の同僚で今はAmazonに勤めている。僕たちはアップルの黎明期に一緒だったんだよ。当時、一緒だった Larry Espinosa と Chris Espinosa が何年も前に「コンピュータの歴史博物館(Computer History Museum)」で、アップルのユーザーインターフェースについて講演したときの原稿を見つけたんだけど、皆にも興味がある話だと思って。アップルのユーザーインターフェースの開発におけるユーザビリティテストと開発テストの役割についての話だったんだ。

 その頃の自分のノートなんかも探してみるべきなんだと思う。カット、コピー、ペーストにあてたショートカットキー、Ctrl-X, Ctrl-C, and Ctrl-Vの記憶術的な意味合いや、メニューの項目名や、それらがどんなアプリケーションソフトでも同じようなところに配置されるべきことなど、アップルで当時働いていた我々少人数のグループが討論をしたたくさんのこと、それにユーザビリティテストのデータもどこかにあるはずだから。

 僕はLisaという、アップルが初めてグラフィックユーザーインターフェイスに挑戦したコンピュータの開発チームでユーザビリティテストを担当していたんだ。それから、Lisa用の6つのソフトウエア(LisaWrite, LisaCalc, LisaGraph, LisaDraw, LisaList, and LisaProject)それぞれに、初めて使う人向けの"Getting Started" というガイダンスプログラムを開発することもね。そのときの目標はね、「ユーザーにソフトを使い始めさせて、20分以内に何らかの意味ある仕事をさせること」だったんだ。6つのソフトのスクリーンショットはこのサイトで公開されているよ。

 ユーザーがどれだけ簡単にソフトを使えるようになるかを目標にしたことは、このLisa開発プロジェクトの中心的なテーマでもあったんだ。「20分以内にユーザーがソフトを使い始められること」--これが Steve Jobs (現アップルのCEO)が当時のスタッフ全員に宣言した目標だったんだから。最初は、ユーザーに何かさせるなんて、1時間でも足りないくらい。とてもじゃないけど無理だった。それほど難しいから、ユーザーはフラストレーションがたまって使うのをやめてしまう。開発スタッフはそれぞれ、どうしてうまくいかないかについてはいろんな意見や考えを持っていた。だけど、じゃ、どうすればいいのかの方がもっと大事だった。

 ほとんどの人は知らなかったと思うけど、僕が何らかの形で貢献できたとしたら、それは学習の科学や実験的行動分析学を勉強していたからだ。たとえば、ユーザビリティテストを実施するときに、一度に複数の被験者を同時に使わず、一人ずつ進めることとか、その一人の行動データを元にすぐにソフトウエアを改善して、それから次の被験者にテストを行うこととか。こういうことは当時ほとんど一般には知られていない考え方だったんだ。ユーザーテストがうまくいったかどうか判断するために小集団の被験者から平均値を計算しなくていいのか?っていうのが最初の反応だった。でも、アップルはいつも優秀な人材を雇っていたからね。Lisa開発チームのメンバーはすぐに、単一被験体法によるテストと、そこからの情報で改訂を繰り返していく手法が優れていることを理解したんだよ。

 システムと6つのアプリケーションソフトそれぞれに開発チームがあって、各チームに専属のマニュアルライター(マニュアルを書くのが専門の人)がいたんだ。Larryは元々、ゼロックスからきたのさ。 Altoというコンピュータで動作するXerox Starというシステムに携わっていた。そしてアップルに移って、開発リーダーとして複数のチームを統括していたんだ。僕の場合、ユーザーテストの責任者だから、自然と新しいシステムやアプリケーションの第一号テストユーザーになることが多かったんだ。まだ開発中の段階で。他のほとんどのスタッフはそれぞれ別に専門の仕事があったからね。

 開発中のソフトだからちょっしゅうクラッシュしてたよ。でも、そんなことより、僕にとって気になったのは、複数のアプリケーションで操作方法が一貫していないことだったんだ。これが初心者がとっつきにくい原因になっていた。Larryと僕とで、このことについて何度議論したことか。それぞれの開発チームに何度、つっかかっていたり、なだめたり、すかしたり、ほめたりしたことか。でも、一度も命令したことはなかったな。

 意見がばらばらの開発チームをまとめるのに、僕が使ったのが開発テストだったんだ。システムエンジニアもプログラマーも営業担当者も一同に介して、ユーザーテスティングを観察させたのさ。テストユーザーがどうしていいかわからず、四苦八苦しているところを見せたってわけ。そして、どうすればそんなことにならず、簡単に使えるようになるか一緒に考えましょうってね。ほら、プログラマーの人たちは、ついつい、「いや、あれはあれでいいんだよ。そうやってプログラムしてあるんだから。わかるユーザーにはわかるはずだから」ってなるからね。

 これは1981年の始め頃の話。まだIBM PCでMS-DOSを使っている時代。Windowsの最初のバージョンが世に出る何年も前の話だよ。Apple IIだってそうだった。ワープロソフトなんか、難解な命令をいくつも覚えないと操作できなかったし、標準だと1行40文字しか打てなくて、しかも全部大文字だった(確か、隠しコマンドみたいのを使ったり、オプションで売ってるボードをつけると大文字・小文字を打てて、1行も80文字まで拡張できたんじゃなかったけな)。

 この頃のアップルでは他にもクリエイティブな仕事がたくさん進められていた。でも、Lisaが発売されたときは1万ドルもして、しかも3x6x15インチの箱に入った、すごい騒音がする15MBのハードディスクが必要だった。Lisaは営業的には失敗作だったんだ。でも、僕たちが学んだこと、開発したソフトは、そのままMacintoshに引き継がれた。簡単に操作できること、簡単に使い方が学べること、初めてのユーザーが20分以内で何かできるようにすること、これらすべてがね。そして、マイクロソフトにもこれが引き継がれた。今のパソコンのユーザーインターフェイスに、あの頃の僕らの仕事が活かされていると言える。でもね、僕らがHeadSproutでやってる仕事はもっともっと大きな影響をもたらすことになると思うよ。

 アップルでLisaを開発しているとき、僕らは数百人のテストユーザーに開発テストを行なった。一人ずつね。そんなに大掛かりなユーザーテスティングは当時では前代未聞だったし、たぶんその後も行われていないと思う。僕のチームにいたメンバーばマイクロソフトに移ってWindowsのユーザーテスティングに携わったけど、あそこまで徹底した開発テストはやらなかったらしいから。

 皆もよく分かっているように、Headsproutではすでに何百人もの子どもたちに僕らの教材のテストをしてもらった。一人ずつね。そして、一人ひとりの子どものデータに基づいて教材を改善してきた。こんなに大掛かりなユーザーテスティングが「読み」の教材開発で行われたことはないと思う。これも前代未聞だね。しかも、僕たちは、プログラムが世に出た後も、インターネットを通してすべての子どもたちの学習データを集め続け、それを今でもプログラムの改善に使っている。それに僕たちの改善はいつでも関連する研究に基づいて行われている。主に実験的行動分析学の研究にね。世の中には認知系のモデルを元にした「読み」のプログラムも開発され、提供されているけど、ここまでの仕事をしているものはないと確信してるんだ。

以上。

Greg

Greg Stikeleather
President & CEO
Headsprout
www.headsprout.com
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